見上げれば青い空

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■作、演出         田村 和也

■舞台監督        鶴巻 昌洋

■照明           齋藤 道男(オフィスサイトウ)

■音楽(作曲、演奏)  大作 綾

■音響           土田 彩子

■小道具          壷屋 美香

■美術           田辺 雅史

■宣伝美術        吉田 義浩

■制作           大作 綾

■演出助手        土田 彩子

■出演               中村 順子(33歳)    大作 綾
                    中村 晶子(25歳)    大港 摩弥
                    田中 真由美(20歳)  小山 はなえ
                    木山 宏美(22歳)    川上 智栄

 

■主催  劇団 共振劇場

■後援  燕市教育委員会
       三条市
       三条市教育委員会
       (財)新潟県文化振興財団助成事業

 

地球温暖化である。いまさらなのだが、アルプスの氷河は溶け、国土そのものがなくなろうとしている国がある。だが、はなはだ不真面目な話なのだが暑くなったという実感がない。それはクーラーの効いてる部屋でのほほんとしているからだろう、そう怒られそうだが、我が家にはクーラーがない。そういえばクーラーがないなんて、ちょっと前だったら「えーっ、今時」とおどろかれ、(いまでもそうか)ちょっと恥ずかしい思いをしたのだが、(あ、今でもそうか)いつの間にか私もエコでロハスの仲間入りである。まあ、じっと待ってたら周回遅れのランナーがトップランナーに見えているようなもんで、あまり誇らしくは言えないが。

 あ、そうそう、暑さの話である。ほんとに暑くなっているのだろうか。記憶をたどって見ると、およそ30年前、都会の夜は寝苦しかった。もちろん金のない学生が寝起きをしている木造モルタル作りのアパートである。暑くて当たり前。窓を開けても風の通らない4畳半。懐かしい響きですなあ、4畳半。そういえば友人に下宿が3畳という奴がいて、「おまえ、ここでどうやって生活してるんだ」みたいなことを言ってずいぶん馬鹿にした覚えがあるのだが、ごめんなさい、Hくん、僕が浅はかでした。こういうのを「目くそ鼻くそを笑う」というのですね。

 ただ一つ付け加えておくとHくんの3畳の部屋には小さな冷蔵庫が備え付けられていて、中身は空なのにずいぶん重宝しているようだった。大体予想はつくと思うが、Hくんは暑くなるとドアを開けて足と頭を交互に冷蔵庫の中につっこんでいた。窓のない空気のよどんだ部屋で、彼は生活の知恵を誇ったのだが、冷蔵庫のスイッチを切って裏面から出る熱をどうにかした方がいいのではないかとふと思ったりしたものだ。

 えーっとそうそう暑さの話である。都会の夜は暑いのである。窓を開けても風は通らず、ご近所のエアコンの廃熱がごーっと言う音とともに窓から入ってくる。ま、でも窓を閉めたらしめたで、日中嫌と言うほど熱せられた屋根からおりてくる熱が逃げ場を失ってまるでサウナ状態である。そういえば昼間は、霧吹きで狭い部屋で霧を吹いていた。「そうだ気化熱だ。気化熱を利用して部屋を涼しくするのだ」自分ではいい考えだと思っていた。(ほんとに霧吹きで涼がとれたかどうかは今考えると疑問である。まあ、気持ちの問題だ)さて、夜はさすがにそうもいかず、どっちの暑さをより好むかという話になってくる。 今、都会はどんな暑さなのだろうか。

さてそのさらに前、田舎の話である。昼日中、日向を歩き回ったせいだろうか、体には熱がこもっている。子供は日陰を探して歩くということをしない。日光に照らされれば照らされただけ汗をかく。アスファルトは日差しでぐにゅぐにゅになり、その感触を楽しんでいるのか、気味悪がっているのかだんだん自分でもわからなくなる頃、飼い犬か野良犬かわからない黒い犬は小路にだらしなく寝そべって赤い舌をだらりとだして目やにのたまった目でこっちを見上げていた。

 アスファルトからの照り返しもあり、ああ、あの頃は暑かった。あの頃が一番暑かった。今、映画やテレビを見ても俳優があまり汗をかいていないと思うのは錯覚だろうか。多分そんなリアリティーより優先すべきことがきっとあるのだろう。が、あの頃、俳優たちも汗をかいていた。夏の場面ではみなぎらぎらした目をして、額からだらだらと汗をかいていたような気がする。

そして僕たちはゴムのサンダルを履き、グランドではいつくばってビー玉をころがしていた。顔を地面に着くくらいまで低い姿勢を取りビー玉をふーふー吹いたりして。手も足も土埃で真っ白になりながら遊んでいた。埃もいっぱい吸い込んだんだろうなあ。そうして真っ白になった手やむき出しになった二の腕や半ズボンの脚を水飲み場できれいに洗い流す他に、涼しさを得る方法があっただろうか。いや、あった。銀行の、信じられないくらいの涼しさと、日の射さない土蔵の中の、じめっとして、そしてひんやりとした、古い紙製品と布団のような臭いが充満していた、あの空気である。 

田村 和也
(チラシより)

 

走り始めて2年1ヶ月。

まさか自分がランナーになるとは思っていなかった。幼稚園の頃から、「かけっこ」は大の苦手である!きっと今も「かけっこ」は苦手だろう。だろうって、自分のことだろう?って、だって大の大人が「かけっこ」は出来ませんから、はい。いきなり、近所を大人が全力疾走してたらビックリですよ。私だってそんな人が近所にいたら通報しますよ(冗談)

でもでも実際、炎天下とか雨の中とか吹雪の中とかを走ってたら、「あら、あの人何やってるのかしら!?」と、かなり変な目で見られる。これ、ホント。特に公園などで子供を遊ばせているお母様方。すみません、私不審者じゃないんです、と少しだけピッチを上げる私。

そうそう、「かけっこ」は苦手である。

お遊戯会とかは好きだった。でも、運動会は嫌いだった。もともと嫌いなのに、小学校の担任から酷い一言を言われた。その一言は、私の弱々しい心をメタメタにした。「全力で走っとるんか?お前のはジョギングじゃ!」ぐすん…。私なりに全力で走ってるのに〜。

最近知ったのだが、私は足を前に出す動作がかなり人より遅いのだ。ついでに言えば、この「足の遅い理由」を知ったのも遅いよね。ま、そんな一言があったので、私の人生の中で「かけっこ」は封印された。

小学生の頃は「かけっこ」は苦手だったけど、水泳は大好きで、平泳ぎの選手だった。真夏(広島の夏は冗談抜きで死ぬほど暑い)に延々と泳ぎまくった。大会には必ず出場していた。沢山あるスポーツの中で唯一自慢できるスポーツだ。

そんな私も中学に進み、勿論部活は水泳部!と意気込んだ。このまま泳ぎ続けると、オリンピックも夢ではない!(や、そこまでではなかった)が、現実は甘くなかった。水泳部の門を叩くと、「冬は体力作りのため、走ります!」とのこと。トホホ〜。とにかく走ることを避けていた私は、その一言でオリンピックの夢を諦めました。(だーかーらー、オリンピックなんて目指してなかっただろもともと!)

そんな私。中学三年生の時、学校のマラソン大会(女子は確か三qだったか)で、驚きの銅メダルを獲得してしまうのだ。ゴール時は四番目だったのに、からくりがあって三位に。上位に陸上部の子がいて、「陸上部が速いのは当たり前だから辞退させる」とのこと。当時の私は「わぁ〜い」と突然の銅メダル授与に手放しに喜んだ。でも、よく考えるとその陸上部の子は可哀想だと思う。

そんな中学三年生のビックリな体験を活かして高校で陸上部に入り、長距離選手にでもなっていれば…と残念がる気持ちはない。でも、想像はしてみる。そうしていたらどうなっていただろう〜?実際の私はその後本格的にスポーツをすることは無くなった。時々泳ぐ程度。炎天下の中を走ることもない。むしろ、密閉された部屋の中で黙々とピアノを弾きまくっていた。そう、全くもって暗い青春時代だった(?)

大人になってからも、炎天下で何かをするということなんてほぼ無い。そんな時「あー、思いっ切り晴れた日に走るって気持ちよかろう」と考えた。やってみた。想像以上に気持ちよかった。そして何より、空が思ったより「遠くにある」のだと実感した。

最近、空を見上げたことはありますか?

大作 綾
(公演当日配布パンフレットより)

 


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