路地裏の花火

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■作、演出         田村 和也

■舞台監督        鶴巻 昌洋

■照明           霜鳥 克彦

■音楽(作曲、演奏)  大作 綾

■音響           土田 彩子

■美術           霜鳥 克彦

■宣伝美術        吉田 義浩

■制作           大作 綾

■出演               清水 和恵(35歳)    大作 綾
                              清水 崇(38歳)     皆川 茂信
                    清水 香奈恵(30歳)  江口 愛子

 

■録音協力  見附市文化ホールアルカディア

■主催  劇団 共振劇場

■後援  燕市教育委員会 

 

多分小学校に上がる前のことだと思う。家で一人留守番をしていたことがある。ひょっとしたら祖父くらいは家のどこかにいたのかも知れないが、自分としては今この家にいるのは一人だと思っていた。だから、やりたい放題、と言うわけではないが、結構、やってはいけないという事をして遊んでいた。風呂敷をマントのように首にくくりつけ、プラスチック製の刀を腰に差して、コタツの上で一人チャンバラをして遊んでいた。

子供は、ほったらかされれば、ほったらかされたで、とにかく遊ぶのである。飽きるのは早いがとにかくすぐに色々な遊びを考えつくので時間をもてあますと言うことはなかった。遊ぶと言うことはルールを作る事だ。一人しかいのに架空のルールを決めて勝手に一人で競い合っていた。競い合っていた?そう、別に架空の相手を想定していた訳ではなかったが、最初の自分と二番目の自分を競わせていたのだった。「今のは、足が滑ったから、なし。もう一回」勝手にもう一人の自分に言い訳してこたつの上から飛び降りて、飛んだ距離を競い合ったりしていた。こたつから飛び降りて何が楽しいのかと思うが、そのときは楽しかったのである。子供が飛び降りるのにこたつの高さはちょうどよかったし、何より普段は上がってはいけないと言われていたこたつの上にあがったり、座ったりすることができたからだ。

それに飽きると今度はフトンの中に潜り込んでこたつの赤い光をじーっと見ていた。いよいよ暑くなって我慢ができなくなると顔を出して深呼吸した。暑さが収まるとまた顔をつっこんで空想にふけるのだった。何を考えていたのか全然憶えていないが、こたつの中が閉ざされた不思議な世界に見えていたんだろう。なんだかこどもって猫みたいだが、猫ではないのでそういつまでもこたつの中にはいられない。

やがて小さな世界から抜け出すと再びこたつの上に上がり天井からつるしたひもにぶら下がってゆらゆらとゆれるのだった。そう、すでに私はターザンなのだった。いったいどうやってひもを垂らしたのか記憶にないのだが、当時の我が家の構造を考えるとできない事ではない。当時我が家は一階の一部分は吹き抜けのようになっていて、二階には廊下しかない部分があり、手すりがあって、一階を見下ろせるようになっていた。こういうとなんだかモダンな家の造りのようにきこえるが、もちろん決してそうではない。古くて狭い家だったに違いない。ただ子供には十分な広さだった。私はたぶん二階の手すりにひもをくくりつけ、下に垂らしていたのだろう。そうして「アーアァー!」と叫んで家の中でターザンごっこをしていた。とにかくテレビでやられていることは、一応全部やるのである。コンバットで戦車が出てくれば段ボールをキャタピラーのようにしてその中に入り、段ボールをぐるぐる回しながら動いて自分は戦車なんだと思いこんでみた。

やがて遊び疲れてこたつの上に座っていると、テレビから不思議な音が聞こえてきた。画面を見ると広い草原を動物の群れが走っている絵だった。そう、実写ではなくアニメ。画面は白黒だったがその絵と音楽の雄大さに心をわしづかみされたのだろう。しばらく呆然と画面に見入っていた。そのアニメは「ジャングル大帝」だった。

いつねだったのか全く憶えていない。いや、多分親が私の気持ちに気づいて買ってくれたのだろう。いつの間にかこたつの上に置くテーブル?は「ジャングル大帝」のキャラクターが描かれたものになっていた。

何年か前、久しぶりに実家に帰ったとき、親がまだそのテーブルを使っているのを見て懐かしいと言うよりも、なんだか切なくなった。年寄りは本当にものをすてない。親にとっては昔のものではないんだろうな。

田村 和也
(チラシより)

 

昔から、花の名前がわからない。子供の頃はチューリップとひまわりくらいしか花の名前を言うことができなかった。桜はもちろんわかっていたが、花壇に植える花とは違って木だったから花の中には入れていなかったようだ。チューリップ、ひまわり、後全部、という訳である。花は花なのだ。僕の中にあるカテゴリーはそれで精一杯である。女の人はどういう訳か花の名前を知っている。僕には不思議でならないのだが、きっと男の子が恐竜の名前を知っているのと同じでやっぱり好きなものは自然と覚えていくのだろう。そんなわけで、小学生の頃、僕は同級生の女の子のことをある意味尊敬していたのである。

あの頃は学校からの帰り道、何カ所か空き地があった。製材所の隣にも空き地があって、いろんな草花が生い茂っていた。今考えると不思議なのだが、ふつう雑草でいっぱいになってしまう場所に、何でいろいろ花が咲いていた。自然に生い茂るような野草ばかりではなかったような気がする。隣の家の人が種をまいていたんだろうか。そういえばなんだかちょっとしゃれた感じの、つまり庭には煉瓦で花壇を作っていそうな家だったうような気がする。

女の子は道ばたに立ち止まって話をしていた。製材所の作業に見飽きた僕は女の子の見る花を同じように眺め、彼女たちの話が耳に入ってくるに任せていた。「あの花は〜」「こっちのは〜」そんな話を聞きながら何でこの人たちはそんなことを知っているんだろう、そう思った。なるほど確かによく見れば皆違う花である。

僕はちょっと悔しくなって覚えてやろうと思った。「よし、この花は〜、こっちは〜」花の名前は皆横文字だったように記憶してる。はなしていた女の子がどんな子だったのか、その後どんな風にその場を去ったのか、全然覚えていない。とにかく一生懸命花の名前を覚えようとしていたのだった。なんだかそういう横文字の名前を覚えるのがなんだかとてもすてきなことに思えた。なんかハイカラ(当時はまだ死語ではなかった)なことのように思えたのだ。グラジオラスとかヒヤシンスとかクロッカスとか、もうその響きだけで一人で高揚していたのである。だから学習雑誌の付録で球根の水栽培なんかあるとなんかわくわくしてカラーテレビの上に置いていつでも見られるようにしていたのだった。昔のテレビは大きかった。そしてテレビの上にはいろいろなものがごちゃごちゃと上がっていた。

さてそうやって一生懸命覚えようとした花の名前だが、翌日には結局ごっちゃになってしまい、区別が付かなくなってしまっていた。ただ子供のころ唯一、強い印象の残っている花があった。ケイトウである。その花を初めて見たとき、その形の異様さと、何ともいえない色に僕は目が釘付けになった。それまで淡い水彩がばかり見ていたところに、いきなりこってりしたマチエールの油絵を見た感じだった。「あの花はなんていう花?」「ケイトウだよ」誰に聞いたかはもう覚えていないが、確か、誰かに尋ねているはずである。ケイトウが鶏頭だと知ったのはおそらく高校に入る頃ではなかったろうか。グラジオラスもヒアシンスも、名前は出てくるがどんな花なのか、頭の中で像を結ぶことができない。チューリップとひまわりと桜を別にすれば、子供の頃見た花の中で今でも名前と像が一致するのは鶏頭だけである。

田村 和也
(公演当日配布パンフレットより)

 


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