14歳の国(作・宮沢 章夫)

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■演出               田村 和也

■舞台監督        鶴巻 昌洋

■舞台美術        霜鳥 克彦

■照明           丸山 悦男

■オブジェ製作        平田 洋彦

■宣伝美術        吉田 義浩

■制作、ピアノ演奏  大作 綾

■スピーカー製作   星野 和弘

■出演            教師1  渡辺 晴雄
                                  教師2  大作 綾
                                  教師3  高橋 美紀
                                  教師4  皆川 茂信
                                  教師5  田村 和也

 

■主催  劇団 共振劇場

■後援  燕市教育委員会

 

小学生の頃、校門を出るとよく怪しいおじさんがいた。校門を出たところに陣取って、変な物を盛んに売りつけているのだが、子供はその品物に魅力を感じているのかそのおじさんの話術に引き込まれているのか、結構人だかりができていて、後から来た子供は体を横にして人と人の隙間をくぐらなくては何を売っているのかわからないのだった。隙間をすり抜けてそのものを近くに見るにはランドセルがじゃまである。子供はランドセルを背中からおろすと勢いよく木の根本に放り投げ、身をねじり込んでいくのだ。

売ってるいる物はラジオのアンテナのようにするするっとのびる指示棒だったり、拡大器だったりした。指示棒はもちろん先がボールペンになっていて字が書けるものだった。いったい小学生がそんな物手に入れてなんに使うのかと思うのだが、それさえあればいろいろな事ができると錯覚してしまうのだ。もう欲しくて欲しくてしょうがなくなってしまうのだ。あれさえあれば先生のように黒板の字を指し示す事ができる。そんな風に思うのだ。(そんな機会、あるわけないのに。)しかも字が書ける。外にいようとどこにいようと、いざというときにポケットから取り出して字が書ける。(だからそんな機会あるわけないのに。)「先生も使ってる」たしかおじさんはそんな風に言ったと思う。(だから先生が使う物を子供に売るな。)

拡大器は説明が必要かもしれない。長さ30センチ、幅2センチくらいの薄い板を数本組み合わせて作られた物で、数カ所ビスで止めてあって自由自在に動くのである。何をするのもかというと、雑誌や何かの小さなスターの写真を画用紙に大きく書き写す道具なのだ。そんな物何の役に立つといわれればそれまでだが、今みたいにコピーなんて物も言葉も無かった頃の話である、その道具は子供にはとてつもなく魅力的に見えたのだ。店先(屋外だが)に見本のスターの絵がそれはそれはリアルに描かれてつるされていた。子供にとってそんな絵を描けということはとにかくすごいことなので、その拡大器という道具は魔法の道具のように思えた。「これさえあれば、どんなに絵の下手な子でも、こういう絵が描けるんだー」きっと目をきらきらさせて見ていたに違いない

指示棒までは何とか我慢できたが、拡大器はもうだめだった。我慢の限界を超えた。白状します。しばらくして祭りの夜店で買ってしまいました。結論から言うといくらどうやっても絵は描けなかった。「だから言ったじゃないか」と親から言われたような言われなかったような。記憶は定かでない。きっと相当悲しい思いをしたんだろうなあ。いったいあの拡大器とは何だったのか。本当にうまく絵の描けた人は是非教えて欲しい。そして私と同じように悔しい思いをした人、今となってはもう恥ずかしくありません。名乗り出てください。名乗り出て、一緒に悲しさを共有しましょう。(とほほ)しかし考えてみると「これさえあれば〜できる、なれる」というのが人間の弱いところで、その心理をついてあらゆる経済活動は成り立っているのかもしれない。「〜できなくてもかまわない」「できたところで意味など無い」そんな風に悟ることのできる人間ばかりでは身も蓋もない。

ところで、あのころ学校で「変な物を買ってはいけない」とか言われた記憶がないのは今となっては不思議である。言われたのに忘れてしまっているのだろうか。いや、「別にそれくらい、いいだろう」くらいに大人も思っていたのかもしれない。そう思いたい。なぜなら一見意味のない物の存在が許されているのはとても健康的な事だと思うからだ。あっても無くてもいい物はその後も怪しいおじさん経由で売られていたようなきがする。今、おじさんはいなくなってしまった。そして一見意味ありげで実は意味のないことが存在を許されているのではなく強制をされている今日このごろである。

田村 和也
(チラシより)

 

 

14歳(ジュウヨンサイ)。この文章を読む人は恐らく皆14歳を経験しているでしょう。(もし君が14歳未満だったとしても読んでね!)

「14歳」と聞くと、既に過ぎ去ってしまった自身の14歳を思い出す人や、自分の子供が14歳だった頃を思い出す人もいるかも知れない。もしかしてひょっとすると、未だ見ぬ我が子の14歳に思いを馳せちゃう事だってあり得る。

皆様の内側にいろいろな世代の14歳が存在するが、共通している事は、「中学生である」事。そう、微妙なお年頃と言われる「中学生」。反抗期や思春期を経験する「中学生」。恋に恋する「中学生」。女の子は初潮を迎える「中学生」。あっ、最近の子は小学生で初潮を迎えるのかな?とにかく、いろんな事にドキドキ・マギマギする「中学生」。そして、早く大人になりたい「中学生」。それでもやっぱり大人になんかなりたくない「中学生」。

私の「中学生」話をしよう。〈ここで証明と音楽変わる〉当時私は、広島市内の中学校に通っていた。自宅から愛車(もちろん自転車)に乗って山を猛スピードで下り、ラッシュ時の車を横目で見ながら平地をひた走り、赤信号を無視したいが死にたくないので我慢し、青に変わったら誰よりも早くダッシュして漕ぎまくる。かなりヘバってきたところへ最後の難関。出ました、上り坂登場!「ようしっ」と気合いを入れ、学校指定のヘルメットを装着して、坂に挑む。「カチッ」(ヘルメット装着音)それは、周囲に群がる自転車族との競い合いが始まるゴングなのだ。校門前の長い上り坂。そこに挑む若さ(バカさ)。女子も男子もなく、なりふり構わず立ち漕ぎ状態。今思い出すとかなり笑える光景だ。

そして、最後のおまけの難関。自転車を止めたら鞄を抱きかかえながら今度は自分の足で猛ダッシュ!山の中腹にある校門まで200メートルはあるだろう急な坂道&階段を駆け上がる。うちの中学はチャイムと同時に門扉が閉まる。そして一瞬でも遅れた者はまるで檻の中の猿のように門扉にしがみつく。惨めである。そんな経験は多分私はなかった(はずだ)。ん?なぜ、門扉にしがみつく猿を知っているのだ??

私が中学一年の頃、三年生がかなり荒れていた。懐かしい「長ラン」や「短ラン」が混在していた頃。煙草やガムが廊下に落ちていたり、ガラスが割れたり消化器が突然破裂したり、あと、非常ベルが授業中鳴ったり…。その度に運動場に立たされて、こっちはエライ迷惑。それと比べると私達の学年はそこまで酷くなかった(はず)。ストーブでスルメ焼いたり、水風船投げたり、あとは…。

当時の事を振り返って文章を書いていると、色々な先生を思い出す。(思い出せない先生ごめんなさい)髪の毛が伸びてくるとだんだんラーメンのようになってくる美術の先生。私の顔を見るたびに「お兄ちゃん元気かー?」と必ず聞いてくる先生。数学の問題が解けなかっただけでビンタが飛んでくる先生。今だったら「体罰」になっちゃうのかな?

そう、14歳。ちょうど私は担任のY先生に反抗期でした。と、これまたいきなりの話で申し訳ないが、実のところ中学の記憶はあまり良いモノは無いのだ。担任のY先生とはしょっちゅう何やかんやで衝突してました。(なんと私達の学年は、中二中三の二年間はクラス替えなし・同じ担任でやってみよう!というアホな実験を企てられた犠牲者なのである。次年度からは勿論クラス替えをしていた模様。)Y先生は曲がっていたのか真っ直ぐすぎたのか、ちょっと行き過ぎなところがあった。詳しくは思い出せないが、何故かよく反発した。

今でも思い出される史上最悪の出来事は、職員会議中に正座させられた事だ。終学活(朝と掃除の前に必ず学活があった)の時、私はY先生に対する態度で怒られ、「放課後の呼び出し」をくらった。ところが、すっかり忘れて教室でお友達とお勉強していた私は、いきなり放送で「今すぐ来い」と呼び出された。中途半端が嫌いな私はキリのいいところまで勉強して職員室のドアを開けると、なんと職員会議が始まっていた。教員全員の熱い視線!猛烈な勢いでY先生がやって来て私の腕を引っ張る。そしてY先生の席の右側に正座を命ぜられる。これはかなりキツかった。更に言えば、茶道部だったくせに正座そのものもキツかった。私の右側には好きなラーメン先生が座っている。しばらくしてラーメン先生の一言で私は解放されるのだが、直後の記憶は全くない。

言い訳に聞こえるかも知れないが、私は決していわゆる「不良」ではなかった。でも尖っていたのは事実だ。

現在、私は教育の現場にいる。色々な生徒と接する中、色々な「葛藤」が生まれる。「私は今ここで叱っても良いのか?」「叱った後でどうするべきなのか?」等々。

そんな私だが、最近、ほんのちょっとだけY先生の気持ちが解らなくもない。でも、ハッキリと「ごめんなさい」が出来ないのは、未だ私が「尖っている」からだろうか?Y先生とは卒業式にもろくに目を合わせなかった。言葉も交わさなかった。そして、クラス会で会った事もない。もしも、Y先生と会う機会があればどうなるのだろう。互いに目を合わせないままか、それとも何事もなかったかのように話せるのか。敢えて頭を下げるような事はしないだろう。どちらにせよ、両者の心の中には、良い意味でも悪い意味でもお互いが存在している(はず)。

当時の二倍は生きている私。二倍生きているからその分成長しているかと言うとそんな事はない。少しだけ知識が増えてズルくなっただけ。

そうだ!今度、屋根裏からアルバムを出してきて、ほぼ封印されたクラス写真を眺めるとするか。おぉ、青春の一ページではないか!

大作 綾
(公演当日配布パンフレットより)

 


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